大正3年3月19日午前、第43潜水艦は佐世保港外での演習の中、軽巡洋艦「竜田」と接触し沈没、水深38mの潜水艦の中、地上と通信を行いながら救援を待つ乗員は次々と酸欠で倒れて行き、12時間後にはついに潜水艦乗員45名からの応答は無くなってしまいました。
やっと引き上げることが出来たのは1ヶ月後で、45名の内33名が酸欠に苦しんだ姿が残っていたそうです。この時、乗員たちは全員が手帳や壁に遺書を残しており、その全てが新聞紙上で公開されました。
この記念碑はこの事故の慰霊塔として建てられているものの、今ではほとんど訪れる人もなく弓張岳の中腹にひっそりと佇んでいます。